読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

夢になりたい、くれたから。

NEWSについて語る、とっても愛が重い自己満足のブログ。

誰も、頑張っている人を責めることはできない。

こんばんは。

前に記事を書くと言ってから、もうずいぶん経ってしまった。

有言実行できないのが私の悪い所なの、自覚しているけどなかなか治せない。

多分、意志の弱さと発言の軽さが原因。

分かってるけど、治せない。そういうものあるよね。

だから許されるわけではない時もあるけど。

ごめんなさい。

 

まずは、うーんと、まあ今回書くのは小山さんの話なんだけど、私はTwitterとかでも、何かに批判する意見(例え内容が至極常識的なものでも)を述べたりするのは、基本的にはいい気分ではない。これはそういう教育というか、周りの人間を見て、それを目にした自分自身が、気分がよくないなあと感じた経験からで。でも、やっぱり人間だから、どうしても我慢ならなくて、誰にも見てもらえなくていいから、その気持ちを公開したくなることってある。でも、あわよくば、同じように思ってくれる人を探している。そんな気持ちで、ついツイートしてしまったことが、最近多発してしまっている。その影響は、やっぱり小山さんについての一連の騒動に関する色んな文章を読んで、それで我慢ならなくなっている、というわけだ。

 

この記事を読むにあたって、私はあなたに伝えておきたいことがある。私は文章のプロではないし、評論のプロでもない。ただの二次元ジャニーズ二足の草鞋の19歳女性だ。だから素晴らしいブロガーの方々のように、物事を冷静に、客観的に見ることもまだまだできていない。いわば、なーんにも凄くもない一般人の意見だ。それでも一生懸命脳をフル回転させながら、私が今、「一人にでもいいから伝えたい」ことを書いていこうと思う。共感してもらえなくても構わない。つまりは、『この声が届くならば誰でもいい』。

 

きっかけはここだ。

tounoin.hatenablog.com

 

ふとタイムライン上で引用RTを見かけて、「読んでほしい」という風なメッセージが添えられていたので、正直に読み始めた。最初、この記事がどのようにNEWSと関わってくるのか分からなかったが、結果納得だった。色んなものを好きになれる人って本当に尊敬できる。私は、例えば音楽に関しても、好きなジャンル以外のものは聞いてもそこから興味が全く湧かなくて、結局踏み込まずに終わってしまう。人から言わせれば、自分もたくさんのものが好きな人の部類に入るのかもしれないが、私自身の自己評価は、見かけだけだ。どれだけ好きなジャンルが多くても、その中の好きなもののことしか知らない。それぞれのものに精通していて、多ジャンルのものと照らし合わせて話ができる人って、とても知的に映る。私には絶対無理な話なんだけど。

脱線失礼しました。で、これを読んだんだけど。前半を占める演劇の内容がまず凄い。これをこの時期に見るって凄い、まさにその通りだ。これ、演劇で見たら面白いだろうなあ…。文章読むだけでその舞台が面白いのが分かる。次何か根本さんという方の舞台があったら見に行ってみたい。

他にもいろいろあるけど、まずは上の方の記事を読んでほしい。いや、全然長くないから。勝手に目が進んでいくから大丈夫。ちょっと時間作ってさらっとじっくり読んで。それでここにまた戻ってきて下さったら本望。

 

 

 

私はできた人間ではないので、もちろん傷つくし怒れることは普通に怒ります。特に今回の小山さん騒動では、もう怒るとかではなく、ただ悲しくなることばっかりだった。それは小山さんについて悲しくなるのではなくって、誰かの発言に。一つ目に見える偶像に向かって悪意を向けることは、とても簡単だ。もはや小山さんを侮辱したり罵ったりしている人らは、小山さんという像に向かって物を投げたいだけであって、それが何に影響するとかそんなことはどうでもよくなっているのではないか。『嫌われる勇気』から考えるならば、「小山さんを叩くこと」は目的ではないように見える。小山さんを叩くことで、その人自身が喜びたい…いや、簡単に表現すれば、気分よくなりたいために、そういう発言をしているように考える。これは、不毛だ。この考えは、目的を達成するために理由を作っている、というものだが、結果この場合目的は達成されない。何度罵ろうがその人の気分は一向に晴れない。

 

好きと嫌いは紙一重だ。たくさんの嫌いを見つけるためには、対象について詳しくなる他ないからだ。対象についてたくさん知っていて、好きだからこそ、見たくなかったものまで見えてしまって、なぜ好きだったのか分からなくなってしまうぐらいに嫌いになる。私にはその経験はないが、今回の騒動でよく目にするのは「ずっと好きだった」という人の罵りだ。でも、罵るためにますますその人を知り、その人の周りを知っていく。そしてどんどん嫌いになる。これは完全に負のループと言う他ない。引っ込みがつかなくなってしまった人は、もう始めてしまったその行為をやめることができない。ますます罵る、嫌いになる。だから、人を叩くという行為そのものが、この目的を達成することができない。モヤモヤした気分を晴らしたいから罵るのであれば、もっと別の方法に変えるべきだ。

そこまで深く考えていない人はこれには当てはまらないが、好きで苦しんでいる人がいるなら、力になりたい。頭では納得できても心では納得できないかもしれないけど、あなたの愛は無駄になんてなってない。あなたが誰かのために過ごした時間は、全然無意味なんかじゃない。「NEWSから離れる選択肢」を選べない人の叫びが、非常に痛く感じる。新しい何かを好きになれる日が、きっと来ますように。理屈なんか意味がない。あなたの辛さは誰とも共有できない。自ら動き出せますように。

 

さて、この話はこれぐらいにして。私は進んで批判アカウントを見ないし、見たくもない人間で、もちろんそういうことを言っているアカウントなんかフォローしていなかったので、そういう批判が目に見える機会はほぼなかった。はずだった。今まで本当にNEWSファンとして、ただ普通に呟いていただけだったはずの人が、批判的なことを広めたり語ったりしていたことで、私は一体何人ブロックしただろうか。よくそういう荒れた言動をする人は「ブロックは逃げ」であるというが、私から言わせればただの「選択」だ。見たくないから見ないことを選んだだけ、まあこの発言は煽りであるから真に受ける必要はないんだけど。そんなこんなで批判を見てしまった私は、罵りの現状やファンの現状を見て、結論悲しくなったという話だ。

 

引用させていただいた記事で強く「そうなんだよ!」と共感したのは、「何を信じていて、何を裏切られたのか」についての文章である。裏切られたと言う人は、一体何で裏切られたと言っているのだろう。言葉というのは簡単だけど難しくて、「裏切られた」という言葉だけで、その意味や指すものはふわっとしていることがある。ある時、突き詰めていけば、あれ、おかしくない?と気づくものだ。これツイートもしてしまったからくどいんだけど、裏切られたと言う人は、報道と想像とで作られた小山さんを信じていたということになる。私が見た実物の小山さんは、何一つファンを裏切ってなどいない。これはまさにあの記事の通り。私たちは、私たちに見せてくれる彼を信じぬけばいい話なのだ。

 

他にも今回の騒動について記事で述べられているが、一番引っかかっているのが、「友人を見る目がない、人望がない」という罵りについてだ。なんでこんな叩かれ方するんだろう、私はこの内容について本当に納得がいかない。今回の騒動は、本人たちが公表していったわけではないのはご存知だろう。つまり、たくさんの「真偽が不明な情報」達は、自称知人、友人が提示したものだ。もちろん、芸能人なんだから傍に置く人も考えないといけないという話は分かる。だが、じゃあ一体あなたは人の何を見て、その人が「信頼に値するか否か」を判断しているのだろうか。あなたが本当に信頼していて、絶対に自分との約束を守ってくれる友人が、「100%絶対に裏切らない」と、あなたは言い切れるのか?

結論は、誰も言い切れるはずはない。自分が見ている友人の顔は、どんなに仲のいい友人であろうと「自分に見せる顔」でしかない。自分が自分であるかぎり。24時間その友人を監視して、自分を裏切らないか確認してから信頼する人などいない。「自分に見せる顔」を見て、信頼できるか判断するのだ。じゃあ今回の場合、本当に小山さんがとても信頼していて、何でも話せるぐらいの旧友が、実は裏では情報をリークしたり、あることないことベラベラ言いふらしていたとする。はたしてこれは小山さんの責任になりえるのか。私はならないんだと強く言いたい。そんなに深い関係でない人間付き合いについてもだ。それはつまりはさっきも言ったように、小山さんという存在しか見えていないから、小山さんのせいにするしかないと考えている、ということだ。

例えば、大勢で集まる、卒業生みんなでやる飲み会とかがあったとする。みんなで撮った写真、友達と撮った2ショット、ふざけている動画。みんなで楽しく遊んだ記録として、みんな楽しく撮り合った。ある日それを一人が勝手にツイートしてしまった。仲間は、盛り上がったその場のノリでぽろっと出た失言で、沢山の見知らぬ人間に最低だと罵られる。たくさんの関係ない人間にプライベートを見られ、映っていたメンバーは彼を怒った。

これで「撮られた方が悪い」と言っているのと、要は同じことだ。少なくとも撮られる側は、ある程度この人なら撮られても大丈夫かな、と思って撮られている(盗撮以外は)。その信用を裏切られたのは、撮られた側の人間だ。

今回のその情報が漏れて、人望が無いだとかそれは全くお門違いだ。そもそも、人望のある人にしか友人はできないのか、否。人を見る目とか人望とかは友人関係には全く関係ない。ただの普通の人間に、相手を絶対に裏切らせないことは不可能だ。これをさもまっとうなことのように言っている人を見て、心底悲しくなる。あなたは、本当に信頼していた友人に同じことをされて、まだそれを言えるのだろうか。

 

最後にこの話、「現実を見ろ」とか、「こんなにクズなのにまだ信じてるの?」というのは完全におせっかいだ。そもそも、Twitterのように不特定多数に対してすることではない。あなたが分からせたい相手がいるなら、個人的にメールでもして「あなたおかしいよ」と伝えればいいだけだ。それで友人関係が成立するのかは知らないけれど。要は、「あなたの発言に何の影響力もありませんので、あなたの時間の無駄ですし、たまたま見てしまった人が不快になるだけです」ということだ。そんなこと分かってる、という人もいると思うが、なら何で続けるのか、意図が全く分からない。

自称知人が出てきて、「この人はこんなにクズだっていうのを伝えたくて、親切心で」みたいなスタンスの方がいらっしゃるが、これも日本語がおかしい。どう見たってあなたのうっぷんを晴らしたいだけだろう。そもそも今の時代に、ネットの情報を鵜呑みに信じる人なんかそうそういない。いるなら、情報を疑うように努めるべきだ。

Twitterをどのような場所ととらえているか知らないが、自分が発言している場所は常に歩行者天国の真ん中で、もっと正確に言うなら「全世界の人が集まる場所」だ。それを忘れてはならない。そして、自分は仮面をしているつもりだが、その仮面はいつ剥がされてもおかしくないことだ。軽々しく、死ねだの殺すだの言うのは簡単だが、あなたが扱った文字は全世界の人が見て、保存することもできる(あなたがそうするように)。「冗談だったのに」で物事が済むのは、大事になっていないからだ。人にされて嫌なことは人にするな、とはよく言ったものだ。ネットでは誰もが、そのルールは適用されないと思っている。どれだけ隠していようと、自分の発言が自分の責任のもとにあることは変わらない。その仮面が暴かれたときに、初めて"言われる側"の気持ちが分かるのだろうか。違うだろう、その時に反省しても遅いのだ、自分の発言は全世界に晒された後なのだから。匿名を武器だと勘違いしないことだ。

 

 

ここらで締めに入っていこう。じゃないとまとまらなくなってきてるから。

どなたかのツイートを見たけれど、"アンチもオタクも行き過ぎると気持ち悪い"という発言、確かにその通りで、そのうえで付け加えるなら私自身は"行き過ぎたオタク"の部類だと認識している。もちろん自担のかっこよくて仕方ない姿を見たら、「うぉぉぉぉぉおおカッコイイぃぃぃぃぃぃい死んじゃうよぉぉぉぉぉぉおおお」と頭の悪いツイートをする人間だ。でも、まだマシだ。バカだなと罵られようと、現実を見ろと嘲り笑われようとも、胸を張って言いたい。

 

バカで、なにが悪い。

好きな人を好きでいて、クズだろうとなんだろうと好きでいて、

ただそれだけで、何か人に迷惑をかけただろうか。

 

アンチが言うことと同じ、「嫌なら見なければいい」という話で。アンチが「目障りだ」と言うなら、むしろこっちも「目障りです」ということになる。ここまでくると、もう相容れない、ということは分かりきっている。そこにわざわざ歯向かう必要も、反応する必要もない。

 

好きなら、そのまま好きでいいんだよ。自信を持って、私はバカなパーナですと言ってやればいい。それは何も恥ずかしいことではない。

少なくとも私は恥ずかしくない。私が初めて直接彼に会った日に、「明日から頑張れよ!いつも俺たちが傍にいるよ!」と言ってくれた彼のことが、私は大好きだから。その言葉が私を支えてくれて、いつも幸せにしてくれているから。

私の気持ちに、私が見たあなたの姿に、嘘はひとつもないから。